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小さな城下町

兵庫県出石町(いずしちょう)は、山あいの 人口11000人弱、89.13㎡ (ちなみに東京都大田区60.42㎡ 人口70万人 港区20.37㎡ 人口25万人)の
小さな城下町ですが、「古事記」「日本書紀」にも名前の見える歴史の古い町です。

出石城…1604年に小出吉英築城 名・高城  梯郭式平山城 構造・天守閣なし 櫓 石垣 濠 
    城主   小出氏~松平氏~仙石氏
    1871年廃城    (明治元年・1868年)

↓ 復元された 出石城の天守櫓
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出石の伝統工芸である出石焼は江戸時代中期に始められ、特産の出石皿そばは、当時の藩主の仙石氏が信州からそば職人を連れてきたのがはじまりと言われています。

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室町時代に山名時氏が但馬地方を制圧、文中年間(1372~75)に 守護大名・山名時義が山城・此隅山城を築城したと言われています。
此隅山城は、戦国時代は山名氏3代の居城であったが、山名祐豊の時に織田軍の羽柴秀吉に攻められ落城~祐豊は城を有子山に移したが、
1580年に秀吉の弟秀長により有子山城は落城~結果、山名氏は滅亡しました。

有子山城は、秀長により城主は木下昌利に託され、その後城主は青木甚兵衛~前野長康と変わったのち、播州竜野から小出吉政が領主として封ぜられ
その子吉英の時に山城を廃し、山麓に平山城 ”出石城” を築き城下町づくりを行いました。



小出氏は江戸時代9代約100年間続きましたが後縦ぎがなく断絶し、元禄10年(1697)に武蔵国岩槻より松平忠徳が移封され、
1706年(宝永3年)に松平氏は、信州上田の仙石政明と国替えとなり、仙石氏は7代にわたり出石藩を治め、明治維新を迎えました。

明治4年7月の廃藩置県により、出石藩は出石県となり、同年12月には豊岡県に編入されました。


明治9年3月26日に起こった火災は、旧城下町を火の海とし、家屋966、社寺39、土蔵290を焼き尽くしました。

(途中略)

現在は、平成17年の市町村合併により、近隣1市5町(豊岡市・出石町・但東町・日高町・城崎町・竹野町)で合併し、豊岡市出石町となりました。


…と、簡単にいずし町の歴史を、興味ある部分だけ抜粋しました。(^^)

3.4   兵庫県石出(いずし)町


by umemomiji | 2017-03-10 08:00 | 街歩き/春
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